20151018 第42回集いを開催しました(京都)森美根子 台湾を描いた画家たち

 秋晴れの10月18日(日)、京都伏見稲荷大社参集殿において第42回「集い」を開催し、47名の方がご参加くださいました。

 はじめに美術研究家で台湾協会理事でもある森美根子氏が「台湾美術の発展に尽くした二人の日本人石川欽一郎と塩月桃甫――ポストコロニアリズムの台頭により覆される日本の業績」について、続いて台湾鉄道を探求するあまり4年間で30回以上訪台した館田達也氏が豊富なスライドを交えて「台湾鉄道旅行の楽しみ」と題して講演し、参加者との意見交換が行われました。

 また、館田氏の講演では、台湾鉄路管理局ご提供の最新時刻表、特製クリアファイルが一人一部配布されました。

 同会場で行われた懇親会では、交流も大いに盛り上がり、来年も10月に京都で開催することを確認し、散会しました。

参加者の声(Nさん)

 お世話になった皆さま、ありがとうございました。

 近代美術の講義は難解なのではと覚悟しておりましたが、森先生の穏やかながら情熱的なお話しぶりに引き込まれました。台湾鉄道の最新情報もためになり、はるばる伏見神社に行ったかいがありました。

講演会概要

講 演Ⅰ 「台湾を描いた画家たち」

   森 美根子 氏 (台湾美術研究家)

講師紹介:アートコンサルタントとして「民俗風情―立石鐵臣回顧展」(1996年、台北県立文化センター主催)の日本側責任者を務める。以降、台湾人画家の日本での展覧会を多数企画。 

また国立台湾師範大学、国立台湾芸術大学、北京中国美術館などで講演を重ねる。現在、一般財団法人台湾協会理事

著書に『台湾を描いた画家たち─日本統治時代 画人列伝』

(産経新聞出版、2010年)本書では日本統治期に芸術的才能を開花させた台湾人18人(倪蒋懐、黄土水、陳澄波、藍蔭鼎、 陳植棋、顔水龍、楊三郎、李石樵、李梅樹、李澤藩、廖繼春、洪瑞麟、蓼徳政、許武勇、林玉山、郭雪湖、陳進、林之助)に加え、教育指導に当たったり台湾の風物の魅力にのめり込んだりした日本人3人(石川欽一郎、塩月桃甫、立石鐵臣)、合計21人の作品とプロフィールを紹介している。

講 演Ⅱ 「台湾で楽しむ鉄道旅行」

    舘田 達也 氏 (台湾鉄道愛好家)

講師紹介:1983年大阪府生まれ。幼少期から家族の影響を受け、鉄道に興味を持つ。20代までは日本国内で乗車や撮影などの趣味活動をしていたが、2011年冬、初めての海外旅行として訪れた台湾で、現地の鉄道にも興味を持ち、現在までに30回以上台湾を訪れている。

日本の鉄道雑誌等で台湾の情報を発信する一方、台湾の鉄道雑誌での日本の情報を発信、また台湾から来日する鉄道ファンへの情報提供や案内など、鉄道趣味を通じた日本と台湾の交流に励んでいる。

日 時 : 10月18日(日)開始13:30 終了17:00(受付開始13:00)

会 場 : 京都伏見稲荷大社参集殿(JR稲荷駅・京阪伏見稲荷駅下車)

講演会参加費:一般1,000円、学生500円、留学生・ワーホリ・高校生以下無料 

懇親会参加費:3,000円(要申込み)

主催 日本と台湾を考える集い事務局

 

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20150726 第41回集いを開催しました。川瀬健一さん「台湾映画」

第41回日本と台湾を考える集いを開催しました。会場定員ちょうどの参加者は台湾映画の過去及び現在について台湾映画研究家である川瀬健一さんのお話をお聞きしました。
また事務局から6月19日、沖縄・平和祈念公園での台湾人戦没者慰霊祭及び今月17日から三日間にわたり実施された蘇澳冷泉節の様子が紹介されました。
川瀬健一先生、参加して下さった皆さま、ありがとうございました。

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20150530 第40回集いを開催しました 宮脇淳子「戦後70年、改めて日本を考える」

【第40回集い、ご来場ありがとうございました!】

 平成27年5月30日(土)大阪市立難波市民学習センターにて宮脇淳子先生による「戦後70年、改めて東アジアと日本を考える」と題した講演をお聴きしました。貴重な画像の紹介と共に90分のお話しの後は、若い世代の参加者から質問が続出し、宮脇先生の明快な解説に参加者一同感動し次第です。

 講演終了後、事務局が用意した先生の近著「かわいそうな歴史の国の中国人」及び「悲しい歴史の国の韓国人」のサイン会も行われました。

  なお、事務局員である「ふぉるもさライダー」から4月の訪台報告をしました。詳しくは「南台湾での素敵な出会い」をご参照ください。


「戦後70年、改めて東アジアと日本を考える」レポート

※本頁下部より当日配布のレジュメをダウンロードできます

宮脇淳子先生

 

先生の講演内容を事務局の責任でまとめました。お話いただいた順序によらず、内容が近い項目で整理しています。

 

(1)私と台湾について

 

祖父は和歌山の中学で漢文の先生をしていて、台湾からたくさんの留学生を受け入れていた。

父は満鉄(南満洲鉄道)の奨学金で学校を出たが、台湾人の親友がいた。

 

東洋史専攻の自分が大学院時代に始めて訪ねた外国が台湾。当時中国は共産党支配下で自由がなく、中国史を知るには台湾の方が良かった。

また、夫・岡田英弘が1960年代にすでに満洲文献調査で台湾に行っている。

 

私も台湾が大好き。皆さんが広い視野で東アジアの歴史を学ぼうという、今回の集いの趣旨はとてもいい。

モンゴル史を研究していたことで、違う視野から見ると、相手の嘘がわかりやすいことを実感している。

二国間だけでなく、後ろや横顔を見ている人からも声を聞くのが今後のわれわれの目指す処世術。

 

夫の著作集全8巻のうちの第6巻「東アジア史の実像」に、台湾のことが出てくる。主人に弟子入りして30年以上経つ。高齢になって人前で話さなくなった。もったいないので、主人のデータと結論をみんなに伝える活動をしている。

中国・韓国がいかにウソをついているかがわかってきて,最近需要が増えてきた。拙著「真実の中国史[1840-1949]」、「真実の満洲史[1864-1956]は、台湾から翻訳依頼が来た。台湾が変わろうとしている。

 

 

(2)満洲について

 

満洲事変の前に満洲にいた内地の日本人は、関東軍と満鉄の官僚と家族、商人がほとんどだった。あとは朝鮮系日本人だった。

 

日本人は、途中までロシアが街作りをすすめていた大連で、「日本人でもロシア風の町を作れる」ことを示そうとした。

満鉄のレール幅は標準軌 (新幹線の規格)。いっぽう、シベリア鉄道は広軌。同じ規格に揃えないことに、国防上の意義があった。車両は当初アメリカから購入していて、特急あじあ号以降は日本が作った。

 

満洲国皇帝だった溥儀は、東京裁判のときソ連から来た。ソ連は溥儀を政治的に利用しようとしたが、ウソばかりつくので使えないとみて、中国に引き渡した。

満洲の遺産で近代中国ができた。

「真実の満洲史【1894-1956】 」参照

 

 

(3)中国について

 

現代の中国語にはたくさんの和製漢語が取り込まれている。明治以来の日本人が欧米の語彙・概念を訳する際に作ったもの。

(「人民」「共和国」「社会主義」「共産主義」も日本で作り中国に導入された言葉。)

 

清朝は中国ではないが、今の中国は、清朝当時の版図をすべて復活させようとしている。

今の中国は、朝鮮戦争のときは、国連軍の敵だった。

かつてのチベットは今のチベット自治区の3倍あった。パンダはチベットの動物だ。

 

中国人は口で「反日」と言っていても日本に来て買い物をする。

中国がいかにウソをつくかは、中国の都合による。根拠がなくても通れば主張する。日本人は気にしないほうがいい。沖縄が日本だという証拠はたくさんある。でも中国はめげない。

 

中国版の世界銀行は国家詐欺だから、日本はいっさい関わらない方がいい。

 

 

(4)朝鮮について

 

モンゴルが朝鮮をとったとき、(現在の休戦ラインの38度線ではなく)39度線までの北部朝鮮をモンゴルが直接支配した。北の直轄領の朝鮮人が、南の高麗人を差別した。

 

元寇のとき、日本に襲来したのはほとんどはモンゴル領の高麗人だった。遊牧民のモンゴル人は泳げないから来なかった。

 

朝鮮のせいで日本は大陸との問題に巻き込まれた。

満洲事変も日本人になった朝鮮人が国境を無視して満洲に移民したことに原因がある。

 

日本人は善意で、朝鮮を日本のように近代化して一丸となってロシアなどに対抗したかった。

日韓併合前から日本は朝鮮の財政不足を国費で援助していた。伊藤博文は、「朝鮮を日本にしてはいけない」と最後まで言った人。

朝鮮は米が高くなって困ったというが、実は日本に米を高く売って、満洲から雑穀を買っていた。

 

1897年の南大門の写真をみると、朝鮮に搾取するものなんか何もない。きらびやかな韓流ドラマは大間違い。

 

一度は日本にしていい国になるよう投資して努力した。しかし、日本が置いていった資産を壊したのが朝鮮戦争。彼らは設備を稼働させることもできなかった。

 

金日成が南へ侵攻した理由・・・北は寒すぎるので日本は北を工業地帯、南を農業地帯にした。南にはなんの工場もないから勝てると踏んだ。

 

朝鮮の支配層の両斑は近代化に反対した。今後、同じように支援することは二度としなくていい。

そのためには昔あった出来事を知っておかないといけない。

 

韓国には「歴史問題を持ち出すなら付き合わない」と言えばいい。

「福沢諭吉に帰れ」の論調が戻ってきている

 

 

(5)歴史の伝え方について

 

昔からウソを教えられたりごまかされたりするのが嫌いだった。

ほんとのことを知りたくて歴史研究者になった。

 

歴史は政治とは分けて因果関係を語るもの。正確に書き残すべきもの。

中国や韓国のように政治扱いで歴史をとらえるやり方に、日本は合わせ過ぎだ。

 

日本は責任のある国、道義のある国だから、そして日本の方法を広げるほうが世界の多くの人に役立つはずだから、「明治以来、外国と関係を持たざるを得なくなって、世界と一緒に動くようになって、日本はどうだったのか」を、日本史・世界史を分けずに考えるべき。日本はどんな影響を与えたのか、客観的にとらえるべき。

「日本列島から外へ出ていったのは悪いことだった」 というような意識が強すぎる世界観はいかがなものか。

 

大東亜共栄圏は日本史として習うべき。現地を日本に組み込んで教育をした。太平洋の信託統治をしたことで、彼の地の近代化に貢献した。

あちらはとても親日的。台湾だけじゃなく、日本が親身に統治したから。

日本だったときの台湾に知らん顔をするのはいけない。

 

日本人のなかでひとりひとりが「筋を通すこと」が大事。マスコミの姿勢に対しても・・・。

 

朝鮮に対しては、あちらの言うことがウソとわかっていて通すのはじつは見下しているのと同義である。それよりも日本国民はちゃんと反応して、本気で腹を立てて相手するほうがいい。

 

中国も、日本国民が怒らないから無茶をする。

(アメリカは、原爆を落とした方が悪魔となるのは困るので、中・韓の言い分に味方する。)

 

 

〔意見交換〕

● 今後の東アジア情勢について

 

日清戦争は、近代日本にとってはじめての対外戦争だった。

シナが大きくなって、朝鮮が間でうろうろしている。地政学的に、あの頃に戻って考えるのは大事。

東アジアでシナと日本は両立しない。

ただ、人口が当時とは全然違っている。20世紀のはじめに4億人だった人口が、100年で3倍になった。

シナで起こることは予測がつかない。

 

 

●「南京虐殺」など、「みんな日本が悪かった」とされていることについて

 

明らかなウソでも平気でつくので、「縁なき衆生は度し難し」 だ。

中国人は、言うこととやることが違っていて、相手に覇気があるとみるとかかってこないので、個人としての気概を持って当たってほしい。

近く、柏艪舎(はくろしゃ)から「中高生のための中国近代史」を出版する。

日本人に対しては正しいことを主張する意味があるし、中・韓以外に向けても正しいことを言っていくべき。

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第40回 日本と台湾を考る集い レジュメ
2015日本と台湾を考える集い.pdf
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<レジュメの目次>

1「中国五千年」も「中国人」も、20世紀に日本に対抗して誕生した言葉である

2 日本は明治維新で国民国家化に踏み切ったが、清朝と朝鮮は遅れた

3 清朝(1636-1912)は、五大種族の同君連合帝国

4 中国の近代史は、1840年のアヘン戦争ではなく、日清戦争に敗れたときに始まる

5 日清戦争後、朝鮮の支配層はロシアを頼り、朝鮮王が韓国皇帝を名乗る

6 日露戦争のときもなお、韓国皇帝がロシア側についたため、日韓併合にいたる

7 中華民国は国民国家でなく統一もない

8 ロシア革命(1917)とコミンテルン(1919)が、中国の反日ナショナリズムを生む

9 ソ連成立(1922)、孫文がソ連の工作を受け国民党と共産党が合作(1924)

10 張学良の過去の条約を無視した排日運動が、満洲事変(1931)の原因である

付録:現代中国語に入った和製漢語の一部

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