沖縄県を中心に台湾出身戦没者慰霊活動を中心に活動を進めており、「集い」事務局としても支援しています。

台湾出身戦没者と慰霊施設

太平洋戦争の激化により、台湾総統府は1937(昭和12)年に軍隊内での雑役に従事する軍夫や中国大陸で福建語、広東語及び北京語の通訳等を行う軍属の募集を開始し、42年には陸軍特別志願兵制度を、翌43年には海軍特別志願兵制度を実施した。また、戦局の悪化に伴い1944(昭和19)年9月には徴兵制度が実施された。

 

その結果、1990年に日本の厚生省が発表した統計によれば、総督府が徴用した軍属は126,750名、軍人は80,443名の合計207,183名が日本軍に従軍し、その内15%にあたる30,306名が戦死・戦病死している。

 

これらの戦没者の霊を弔う施設として、日本国内においては27,863柱が靖国神社(東京)には合祀され、その後、行方不明者を含めた約33,000名が済化宮(台湾新竹県北埔郷)には祀られ、それぞれ遺族を中心に慰霊社者が訪問している。

 

一方、1975(昭和50)年、東京都奥多摩に一弁護士の尽力による台湾出身戦没者慰霊碑が建立され、在京の台湾関係者を中心に毎年慰霊祭が行なわれている。


沖縄での台湾出身戦没者慰霊事業へご支援をお願いします

戦争末期の悲惨な沖縄戦の終結地であった沖縄県糸満市にある平和祈念公園には、国立の慰霊施設をはじめ昭和40年代に各府県の慰霊塔に加え、韓国人慰霊塔(1975年)が建立されているものの台湾出身者を慰霊する施設は建立されていなかったが、平成28年6月25日に一般財団法人平和基金会の努力で「台湾の塔」の一部が建立された。

 

しかしながら全体整備や今後の維持管理にはまだまだ経費が不足しており、広く一般に浄財を募っている。


台湾出身戦没者慰霊施設(一部)竣工式及び第4回慰霊祭が行われました。


沖縄戦の地、海を臨む摩文仁の丘 波上宮宮司により除幕及び慰霊祭が執り行われた。
愛知和男平和基金会会長(元防衛庁長官)、台湾から林昶佐・高潞以用両立法委員(時代力量)、周倪安前立法委員(台湾団結連盟)及びジャーナリストの鄭弘儀夫妻も駆け付けた。また台北駐日経済文化代表處那覇分處長(台湾の領事に相当)をはじめ琉球華僑総会(沖縄県在住の台湾華僑組織)の皆さんも同席した。
動画は除幕の瞬間・旧日本軍属として南方に派遣された楊馥成さん及び林昶佐立法委員のあいさつ


各地にある台湾人戦没者慰霊施設

     靖國神社(東京)       台湾出身戦没者慰霊碑(奥多摩)
南天山済化宮(台湾新竹県北埔郷)中央の位牌は李登輝元総統の実兄李登欽氏(日本名岩里武則氏)