10月18日(土)、第37回 日本と台湾を考える集いを開催します。

 みなさん、こんにちは。

 「日本と台湾を考える集い」事務局です。

 李登輝・元台湾総統が来日、大阪と東京で講演会を開催しましたが、当集い事務局もボランティアスタッフとして大阪実行委員会に参加。


 講演はとても素晴らしいもので、事務局としては約1ヶ月半ガンバった甲斐がありました。

 ところで来る10月18日(土)、第37回の集いを開催します。

 今回は約2年ぶりに京都・伏見稲荷参集殿にて開催。
 テーマは台湾茶についてです。


 懇親会参加は事前予約のみ賜ります。
 当日の飛び入り参加は固くお断り申し上げます。

 懇親会参加の方は、当日受付にて入場整理券をお受取りください。

 みなさま、奮ってご参加ください。

【テーマ】

 1)台湾茶の歴史

   許賢瑤さん(天理大学・教授)

   言語:台湾華語(通訳付き)。

 

 台湾は地理的に茶木の成長に適しており、オランダ統治期の1645年にすでに野生の茶樹が発見されていた。身長の18世紀末年、台湾に移住してきた漢人が北部に茶樹を植えはじめ、それが徐々に各地に広がった。1860年開港後は、台湾のウーロン茶はFormosa Oloongという名で世界に知られた。それによって、茶業は北部の主要産業と位置づけられたばかりでなく、台湾の経済・政治の中心もそれに伴って北部に移っていった。その影響は今日まで及ぶほど大きなものであった。
 日本統治期には、ウーロン茶の衰退にともない、茶業の改良や制度の整備が行われ、今日の優良茶の基礎ができあがった。1920年代には包種茶の生産がはじまり、続いて1930年代には紅茶が台頭してきた。これらはウーロン茶とともに台湾茶業の3本柱となった。戦後の1960年代には緑茶が生産されはじめ、80年代には輸出茶の主力となった。それ以降、製茶コストの増加及び茶藝文化の推進によって、輸出中心から内需拡大へと推移し、中南部の高山茶と凍頂茶がめざましい発展を遂げたのである。1990年代になると、缶やボトルの飲料茶及び粉末紅茶の流行にしたがって、茶葉の輸入が開始され、2012年ではその量は3000万キログラムに達している。

 台湾茶の百年あまりの歴史をたどれば、ウーロン茶、包種茶から紅茶、緑茶へと発展した姿、輸出から内需拡大さらには輸入へと向かった足跡が理解されよう。


(天理大学中国文化研究会 2014年第1回公開研究会「台湾における茶の歴史」チラシより転載)


2)タイトル未定

  由良宏さん(京都台湾語教室・級長)

【日 時】  平成26年10月18日(土)午後1時半~4時50分

【場 所】 京都市・伏見稲荷参集殿

       (JR稲荷駅、京阪電車伏見稲荷駅下車)

      京都市伏見区深草薮之内町68番地 075-641-0237

 

【参加費】 一般:1,000円

      学生:500円

      台湾留学生:無料

 

【懇親会】 集い終了後に会場にて懇親会を開催します。

      ※要予約制

      当日のお申し込みも含め、10月16日以降の懇親会お申し込みはお断り申し上げます。

      また会場の準備の関係上、キャンセルは10月15日(水)までにお知らせください。

      会費:3,000円

 

【申込方法】 当ページ最下部、またはhttp://goo.gl/z3CUk1よりお申し込みください。

        複数名ご参加の場合は、一人ずつお申し込み願います。

       お申し込み後のキャンセルも、当ページ最下部またはお申し込みページにて受け付けております。

 

       お申込みページにてメールアドレスを入力された方へ受付完了メール送信は、今回しておりません。

 

       お申込みに関しまして、お問い合わせがありましたら、ご面倒ですがt.forum.kansai@gmail.comまでご連絡ください。